五彩の三百七十年 九谷焼のあゆみ

左:九谷焼の工房で素地を成形する職人たち(昭和7年の絵葉書)、右:『加賀国陶器史料』の表紙(明治21年)

左:「九谷焼の素地成形」昭和7年(1932) 石川県立図書館所蔵 / 右:『加賀国陶器史料』明治21年(1888) 東京国立博物館所蔵(出典:ColBase)

石川県の南部で生まれた九谷焼は、江戸時代の初めから三百七十年あまり、時代ごとに姿を変えながら続いてきました。手にした器の絵付けがどの時代の流れをくむのかを知ると、見え方が少し変わります。ここでは、古九谷から現代までをたどります。

古九谷 謎の五十年(江戸前期)

大聖寺藩の初代藩主・前田利治は、九谷村で陶石が見つかったことを受けて、後藤才次郎を肥前有田へ送って磁器づくりを学ばせ、九谷に窯を築いたと伝えられています。遅くとも明暦元年(1655)には窯がありました。紺青・紫・黄・緑・赤の「九谷五彩」を豪放な筆づかいでのせた器は、のちに「古九谷」と呼ばれます。窯は1700年ごろに突然閉じられ、その理由はいまも謎のままです。

古九谷には、余白を生かして五色で描く「五彩手」と、器の面を緑や黄で塗り埋める「青手」があります。青手については、「碧を「青」と呼ぶ 九谷の青手」で詳しくご紹介しています。

再興九谷 百年後のよみがえり(江戸後期)

古九谷が途絶えておよそ百年後の文化4年(1807)、加賀藩は京都から陶工・青木木米を招き、金沢に春日山窯を開きました。ここから「再興九谷」の時代が始まります。木米の窯は、全面に赤をほどこし、人物を五彩で描く中国風の作風でした。

その後、加賀の各地に窯が生まれます。文政7年(1824)に大聖寺の豪商・豊田伝右衛門が開いた吉田屋窯は、古九谷の青手を再興しました。吉田屋を受け継いだ宮本屋窯は、赤で人物を細かく描き、まわりを小紋で埋めつくす「飯田屋風」の赤絵で知られます。京焼の永楽和全の流れをくむ「永楽風」は、全面を赤で下塗りし、金で彩る金襴手です。

こうした窯の系譜は、明治に入ると記録としてまとめられていきます。明治21年(1888)の『加賀国陶器史料』(冒頭の右の写真)は、春日山焼、若杉焼から永楽焼までを取り上げ、九谷焼の源流や沿革を、産地・年代・系統と品物を照らし合わせて明らかにしようとした史料です。

庄三と「ジャパンクタニ」(明治)

明治に入ると、九谷焼は貿易品として海外へ盛んに送り出されます。その中心にいたのが、能美(旧寺井)出身の九谷庄三です。庄三は洋絵具を取り入れて中間色を表し、金をふんだんに使う「彩色金襴」を生みました。古九谷、吉田屋、赤絵、金襴手の手法を合わせたこの作風は、明治以降の九谷の主流となります。庄三の作品は海外の博覧会で人気を集め、「ジャパンクタニ」の名を広めました。

能美では素地づくりと絵付けを分けて、輸出向けの量産を進めました。明治20年代には、九谷焼は日本の輸出陶磁器の第1位になっています。この時代の器については、「海を渡った九谷 「大日本九谷」の銘をたどる」でもご紹介しています。

作家の時代へ(昭和から現代)

昭和に入ると、古九谷風・吉田屋風・飯田屋風などを源流に、作家それぞれの個性が強く表れるようになります。冒頭の左の写真は、そのころ、昭和7年(1932)の絵葉書で、九谷焼の工房で轆轤を回し、素地を成形する職人たちを写しています。

初代徳田八十吉は古九谷の色の再現に生涯を捧げ、その色を受け継いだ三代徳田八十吉は、色釉の微妙な移ろいで表す「耀彩」を確立しました。三代は平成9年(1997)、重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者に認定されています。金箔で文様を表す「釉裏金彩」を極めた吉田美統も、人間国宝となりました。

九谷焼は昭和50年(1975)に国の伝統的工芸品に指定され、いまも南加賀を中心に多くの作家や窯元が制作を続けています。

NORTAの九谷

NORTAでは、さまざまな時代の流れをくむ九谷をご紹介しています。文政5年(1822)創業の窯元・鏑木による青粒(あおちぶ)の徳利、明治期と推定される庄三風の徳利、赤と金で牡丹と鳥を描いた皿、器いっぱいに花を詰めた花詰の蓋つき湯呑。同じ九谷でも、絵付けの流れによって表情が大きく変わります。

九谷 鏑木製 徳利、または花器九谷 鏑木製 徳利、または花器九谷 庄三風 徳利、または花器九谷 庄三風 徳利、または花器金彩皿 鳥と牡丹金彩皿 鳥と牡丹九谷花詰 蓋つき湯呑九谷花詰 蓋つき湯呑

画像:冒頭左「九谷焼の素地成形」昭和7年(1932)、石川県立図書館所蔵(著作権なし)/冒頭右『加賀国陶器史料』明治21年(1888)、所蔵:東京国立博物館(QA-3512)、出典:ColBase(CC BY)/その他の写真:NORTA
参考:能美市九谷焼美術館「九谷焼について」/石川県九谷焼美術館「九谷焼とは」/九谷焼をめぐるとっておきの旅「九谷焼の変遷」/観光庁 多言語解説文データベース「Saiyū Glazing」/JR西日本「Blue Signal」陶芸の里を巡る 九谷焼


Three Hundred and Seventy Years of Five Colors: A Short History of Kutani

Kutani ware began in southern Ishikawa under Maeda Toshiharu, first lord of the Daishoji domain, who is said to have sent Goto Saijiro to Arita to learn porcelain-making after porcelain stone was found in Kutani village; a kiln was operating by 1655. These early pieces, later called Ko-Kutani, were painted boldly in the five Kutani colors, in both the gosaite style and the fully covered aote style, until the kiln closed suddenly around 1700 for reasons still unknown. About a century later, in 1807, the Kaga domain invited the Kyoto potter Aoki Mokubei to open the Kasugayama kiln in Kanazawa, beginning the age of Revival Kutani. The Yoshidaya kiln (1824) revived aote, the Miyamotoya kiln became known for fine red painting in the Iidaya style, and the Eiraku style brought gold over a red ground. In 1888 these lineages, from Kasugayama to Eiraku, were traced in the Kaga-koku Toki Shiryo, a record that matched places, dates and kilns against actual pieces. In the Meiji era Kutani became a major export, led by Kutani Shoza of Terai, whose saishoku kinran style, enriched with Western enamels and lavish gold, spread the name "Japan Kutani"; by the 1890s Kutani was Japan's leading export ceramic. In the twentieth century individual artists came to the fore: Tokuda Yasokichi I devoted his life to recreating Ko-Kutani colors, and Yasokichi III, who developed glowing gradations of colored glaze, was designated a holder of Important Intangible Cultural Property in 1997. Kutani was designated a national Traditional Craft in 1975 and is still made by many artists and workshops in southern Kaga. At NORTA you'll find Kutani from many lineages: a sake flask with fine aochibu dots from the Kaburaki kiln (founded 1822), a Shoza-style flask thought to be Meiji, a plate with a bird and peonies in red and gold, and a lidded teacup densely painted with hanazume flowers. Header images: left, potters shaping Kutani ware on the wheel, a postcard from 1932, Ishikawa Prefectural Library (no known copyright); right, the Kaga-koku Toki Shiryo, 1888, Tokyo National Museum (ColBase, CC BY).